幼稚園生活を終えるのは卒園といいますね。卒園してから義務教育という長い学校生活が始まります。6年間という年月のせいか、小学校の式典が一番印象的だという人が少なくありません。特に卒業式は感動もので、親が子供以上に涙するというのも珍しくありません。6年間子供を見守ってきた親の思いは、成長の喜びと感謝、そして別れという寂しさが入り混じっているのでしょう。
子供にとっての6年間も決して短いものではなくて、その年月で得たものはたくさんある筈です。けれど無くしたものもあって、それを明確にできないまま卒業式を迎えた子がいるのは確かです。卒業式が終わればまた一歩踏み出さなければならないのです。誰にでも経験があると思いますが、中学生になるという不安感はとても大きいものです。
式典後子供達は楽しそうに友人と写真を撮り合っていますが、ゆっくり感傷に浸れるのは親なのかもしれません。
近年卒業式に於いて問題視されていることがあります。卒業シーズンになるとネットでも見かけることがありますが、和装で卒業式に出席する児童が増えている現実です。
私も知人の娘さんの写真を見て驚きを隠せませんでした。写真の中の女の子はアップした髪に華やかな髪飾りをし、艶やかな袴姿だったのです。
年々華美になっていく和装着用に頭を悩ませている自治体も多いのだとか。この背景にあるのは親心のようで、自分自身が経験した卒業式での高揚感と満足感からです。
大学の卒業式で袴を着用するのは女性の憧れであり、式典が行われる1年くらい前からレンタル予約をする人も少なくありません。成人式は振袖、卒業式は袴でというのが理想のようなのです。振袖と比べると華やかさには欠けますが、精一杯ヘアメイクを施し、好みの色柄の袴を着こなします。何故袴なのかと言えば、和装であっても活動しやすく、式典を終えた後着替えなくても謝恩会や食事会に出席できる利点があるからです。
そしてレトロブームも手伝って、大正ロマン溢れる女学生スタイルに強い憧れを抱いているのも理由の一つと言えるでしょう。
卒業式という言葉だけをネット検索しても、袴姿の女性の写真が多く見られます。この小学校の卒業式での袴問題に対する論争は高まっていて、自粛を呼びかける動きにまで発展しています。それでは何が問題なのか?それは「着崩れがする」「経済的な負担が大きい」「競争心が加熱する」など、なるほどと思えるような要因があります。
経済的な負担に関して言えば、袴一式のレンタル料は1.5万円~10万円と幅が広く、自然と競争心がエスカレートするのではないかという懸念が生まれます。
レンタル料だけでなく、娘の晴れ姿を少しでも美しく撮りたいということで、フォトスタジオで記念写真を撮り、結局トータル十数万を費やすこととなります。
このような現状に歯止めをかけようとしているのですが、元々制服がない小学校も多く、徹底するのは難しいとされています。制服を義務付けること以外解決策がないように思われます。その点男の子の衣装は一貫してスーツで通せるのですからいいですね。
昭和の時代の式典の写真を見てみると、母親の多くは着物に羽織を羽織っています。遥か昔から女性の服装が和服だったことから、式典といえば和装なのです。
そして卒業式には着物と黒の羽織はセットになっていて定番の服装でした。洋服ならブラックフォーマルに真珠というのがメジャーでした。何かお葬式のようなイメージですが、卒業式というのはあくまでシンプルでシックにというのがマナーでもありました。
ですから本当は卒業式に華やかさは無用であって、装いが華美になるようなことはありませんでした。それがいつの間にか女の子の袴問題のようなことが起こり、保護者の服装も入学式と卒業式の区別がつかなくなってきています。
余ほどのマナー違反でない限り、少々ズレていても世の中の風潮というものは寛容になってきたのだと感じます。今まで結婚式に招待された女性が白の衣装を着るのも、花嫁が黒のドレスを着ることもタブーとされてきました。
白はウェディングドレスをイメージする為、花嫁だけの色になっていて、黒は悲しみを表す意味から花嫁には似つかわしくないということでした。
それが昨今ではお色直しに黒のドレスを着る花嫁も結構いて、特に問題視されることはないようです。時代の流れなのでしょうが、ついていけないと思ったり、顔をしかめるのは年配者だけなのでしょう。マナーにあまり固執しない若い世代は、自分達流のトレンドを作り出していきます。こうあるべきというものは通用しなくなり、着心地が良かったり、見た目がおかしくなければそれもあり!ということになるのでしょう。実際昔から受け継がれてきた物の中には、窮屈で合理性に欠けているものが少なくありません。「何でそうなるの?」と問われると、答えが出せないこともあります。「昔から決まっているから」というのは答えにはならないでしょう。
黒という色の中には、ベルベットのような光沢のあるもの、透けているもの、レースをあしらったものなど様々な素材があります。でもこれって悲しみを表す意味では、全てマナー違反となります。バッグもエナメルや鰐皮などの黒も使ってはいけないものとなっています。冠婚葬祭は奥が深いですが、可能な限り今風、今流が根付いていくように感じます。式典の保護者の服装も、マナーに縛られないようになっていくのでは?と思ったりします。この時代の移り変わりも写真に収められているからこそ分かるもので、
遥か遠くから画像というものがあれば、もっと歴史は明確になったのではないかとあり得ないことを思ってしまいます。
卒業アルバムというのは早い段階から制作が始まります。思い返せば高校の時には写真館を訪れ、大学では校舎内で撮影したように記憶しています。笑ってはいけないという指示があって、緊張して顔が引きつったり、目を閉じてしまったりする生徒も少なくなかったです。自分が不満足であっても、一発勝負というか撮り直しなどはして貰えませんから、アルバムが出来上がってガッカリする子もいましたね。
スマホの写真なら修整や加工が簡単にできて、別人に生まれ変わったりします。昔そのような機能が使えたなら、アルバムの中の生徒は皆それなりに美男美女だったでしょう。このようなことを考えるのは、アルバムの中の自分に余り愛着がないからかもしれません。卒業アルバムというのは、卒業式を終えてからそう何度も開くものではありません。まだ学業の途中であれば尚更、自分の居場所を見つけ歩んでいくことに力を注ぎます。過去を振り返り懐かしむというのはまだずっと先のような気がします。
何故なら歳を重ねていくことで、昔の自分を懐かしみ会ってみたくなるものだからです。
そして歩んできた道は皆違いますから、「あの日に帰りたい」「もうあの時代には二度と戻りたくない」など、アルバムの中の自分への思いは様々です。
卒業式に、「蛍の光」や「仰げば尊し」を歌う学校はもう存在しないのでしょうね。古臭いと思われるかもしれませんが、この2曲は卒業式には外せないものでした。「金八先生」というドラマがシリーズ化すると、「贈る言葉」が卒業式の鉄板ソングとなりました。「卒業」という曲も何曲かありましたね。レミオロメンの「3月9日」、「桜」という曲も卒業ソングの上位にあるようです。
音楽の影響力は大きくて、曲が流れると様々な思い出が蘇ってきます。その時々の情景が鮮明に浮かんでくるのですから、これは不思議な力でもあります。特に女性は感受性が豊かで、感傷的になりやすいと言われています。コンサートなどに行って曲が始まった途端涙を流すのは女性です。特別な悲しみがあるわけでもないのに涙が零れ落ちるのは何故でしょうか?これは女性特有であって、敢えて感傷的になるように感情を傾け、無意識にコントロールしているのかもしれません。
曲に歌詞が合わさることで、より心が揺さぶられます。女性のファンが多いユーミンの楽曲は、見事に曲と歌詞が融合して深く心に刺さります。「卒業写真」の歌詞は、恋心を抱いていた彼の写真へ思いを馳せ、共に過ごした時間を振り返ります。
そして学びの卒業と共に、彼からの卒業という思いが伝わってきます。ちょっとセンチメンタルで乙女チックな歌詞が、女性を惹きつけるのでしょう。音楽のジャンルは違っても、曲の根底にあるのは共通しているように思えます。
卒業は学びを終えるという意味で捉えてきましたが、物事に対して一区切りつけるのも卒業と言えるような気がします。一区切りをつけることで、新たな一歩が踏み出せるようにも思えます。そしてその新たな一歩から出会いが生まれ、また別れがやってきます。
そんな繰り返しの人生を証明してくれるのが写真ではないでしょうか?たった一枚の写真が心の支えになっている人もいるのですから・・・。