今まで当たり前のように出していた年賀状ですが、元々は平安時代の貴族から始まったとされています。この時代お世話になった人や親族への年始回りも始まり、どうしても会えない遠方の人へ送ったのが年賀状です。
江戸時代に手紙を送るというのが定着しだし、現在のような郵便スタイルになっていきました。明治6年に登場した官製はがきによって、一気に年賀状を出すのが恒例になっていったようです。年賀郵便として特別に取り扱うようになったのは、誰もが年賀状を出すことで、郵便局の仕事量が増え過ぎた為です。元旦に配達されるようにし、年末に受け付けるという制度を確立しました。1949年にお年玉つき年賀はがきが考案されると、益々年賀状の需要は高まっていったと記されています。年賀状を出す意味を問われると、多くの人は年始回りの代わりであるとし、中々会えない知人などへの近況報告も兼ねていると答えます。一方で若者はLINEなどを活用し、年賀状を出すのは無意味だと言います。SNSによって世界と繋がることができる時代には、もう過去のものと捉えているのかもしれません。
年賀状を見るとシンプルなものから手の込んだものまで様々です。墨で書かれた達筆な文字やイラストを描き込んだものまで、書き手の思いが伝わってくるものがあります。
自分で書くのは面倒なのに、手間暇かけたであろうものを貰うと嬉しくなります。
そんな中に写真を入れたものも少なくありません。多くは家族写真で子供メインのはがきが目を引きます。特に小さい子の写真は何故か心が和みます。
文字だけを印刷したものはサッと目を通す程度ですが、子供の写真入りの場合は暫く見ていることがあります。これはペットの写真でも言えることで、何か微笑ましく感じるのです。けれどこの写真入りの年賀状に対して賛否両論があるというのです。送る方の気持ちとしては、単に子供の成長を見て欲しいという考えからだと思われます。でもこれがおもしろくないとか、癇に障るという人がいるのです。
●相手が未婚で子供がいない場合
これは女性に多く、何か当てつけのように捉える人がいるのです。結婚をしたくても出来ない人が増えている時代ですから、このような人には送らない方が無難です。私はブログを書いている時も、未婚のお友達へのコメントには、子供の話は敢えてしないようにしていました。思い過ごしであったり、余計な気遣いかもしれませんが、もし自分の立場だったらと考えると、控える方が良いと判断したからです。
●相手に不幸があった場合
この場合事前にはがきで知らせてくれますが、形式的なことをあまりしなくなったこともあり、知らずに出してしまうことがあります。文字だけのシンプなものならまだしも、カラフルな色合いの子供の写真は、顰蹙(ひんしゅく)をかうもののように感じます。状況が分からないのですから仕方がありませんが、出した後に後悔してしまいます。
●相手が子宝に恵まれない場合
子供が欲しくても授からない人もいるわけで、話すこと自体タブーとなってしまいます。それがうっかり写真入りの年賀状を出すことで、疎遠になる可能性があります。不妊治療をしている人も少なくない現状で、代理出産など、可能な限りの方法で子供を得たいという切実な願いを持っています。悪気がなくても嫌がらせと捉えられると、関係性を修復するのは難しいです。
●子供に興味がない場合
ペットは可愛がっても、子供は要らないという人もいます。私の知人も子供は作らない主義で、親は先が見えないと嘆いています。でもこれも人其々で、子育てをする為に結婚をしたのではないという考えが根本にあるようです。二人で何らかの目的を持っている人が多く、その実現の為には子供は妨げになるのだそうです。このようなタイプの人は勿論子供には興味を示さないので、いくら可愛い画像を入れても無駄だということです。
上記で子供の写真入りの年賀状を控えた方が良い場合を見てきましたが、実際相手の気持ちを察するのは難しいです。ペットが縁でメル友になった人に愛猫の画像を織り込んだ年賀状を送ったのですが、数年返事がくることはありませんでした。
後に貰った手紙には、愛猫を立て続けに亡くし、ペットロスに陥っていたということでした。私も同じような思いをしたことがありますが、好きだから喜んでくれるというのは安易な考えだと思います。生あるものには必ず死が訪れると分かっていても、その状況になると耐え難い悲しみに襲われます。
そのような時は、動物関連のテレビ番組も観ることは出来なくなります。自分自身が納得いくまで悲しんで涙を出さなければ前に進むことができません。このような気持ちを汲み取ることは到底できなくて、相手が行動を起こしてくれるのを待つしかありません。
人とのコミュニケーションは簡単ではなくて、自分だったらというのも通用しないことがあります。昔動物に嫌な思いをしたことがある人は、ペットを可愛いとは思えないでしょう。そういう人には愛するペットの写真はタブーなのです。
このようなケースは珍しくはなく、写真が入っている年賀状は見る気がしないとはっきり言ったり、中にはその年から年賀状を出さなくなったケースもあるようです。
これは相手に不快感を与えてしまったということで、相手の思いを受け止めることができなかったという反省と、それほど悪いことをしたつもりはないという反発心も生まれます。このようなことから、写真を入れることには賛否両論があるのです。
まずメリットを考えてみると、普段会えない人の近況が分かりますね。連絡を取り合っている場合は必要ないかもしれませんが、恩師などからのものは例え1年に1度であっても嬉しいですし、近況を知るというのは大切なことです。
歳を取ると余計に気になるもので、年賀状を手にすると安心できるということもあります。それから連絡が途絶えていた相手からだと、また信頼関係が深まります。高齢者が同窓会にまめに出席するというのも、このような背景があるからでしょう。
それからお年玉つきに惹かれるという人は多いですね。最近では家電だけでなく現金まで当たるのですから、当たれば大きなメリットになります。
それではデメリットには何があるでしょうか?それほど親しくもない人に出す意味があるのか?という意見が結構あります。毎年貰っているからという理由が多く、どうしても必要かと言えばそうではないようです。
何かお互いにやめるのを待っているような気がするという人もいます。それに全て印刷で言葉が添えられていないと嬉しくないですね。家で印刷ができるといっても、インク代もバカになりません。私も毎年インクを補充しなくてはならなくて、はがき代も含めると費用が嵩み、「もういいかな~」と思ってしまいます。何年も前のものを残していると場所を取るという問題も出てきます。このようなことから考えるとデメリットと捉える理由も分かるような気がします。
写真が入った年賀状を見て、「もうこんなに大きくなったのだ!」とか「二人目が生まれたのだ!」というような会話をすることがあります。又「奥さん老けたよね」「もっとハンサムだったのに」など、写真がネガティブな印象を与えることもあります。「百聞は一見に如かず」で、写真というのは在りのままの自分を映し出します。
それを話題にすることで昔を振り返り、久しぶりに連絡を取ろうということもあるでしょう。懐かしくて同窓会に発展するという話もよく耳にします。上記で述べたように写真を年賀状に入れることに対して賛否両論ありますが、何事もケースバイケースではないでしょうか。「あちらを立てればこちらが立たず」で、世の中はそのような繰り返しではないかと感じます。法律も施行してみてマイナス点が出てきます。だから改正するのであって、間違っていることがまかり通っている時もあります。
年賀状に写真を入れる思いが伝わっても伝わらなくても、只純粋に家族や子供の成長を見て欲しい気持ちなら、それはそれでよいのではと思います。けれど忘れてはいけないのは、相手の状況を把握しているのなら、配慮する気持ちは大事です。人は嬉しい時共感してもらいたい気持ちが大きくなります。それは決して悪いことではないのですが、相手がある時は相手の立場になって思いやりを持たなければいけないでしょう。
年賀状はできれば一人一人の顔を思い浮かべて、相手に合わせたものを送るのがベスト
です。そして貰った相手が嬉しくなるような心のこもった年賀状が理想です。裏も表も印刷でシンプルな文字が並んでいるものより、写真と一言だけでも添えられている年賀状の方が価値あるものに思えます。